心理学者やメンタルへルスの専門家には、日本人にも多くの有名な先生方がいらっしゃいます。そんな日本を代表する先生方の一部を御紹介させていただきたいと思います。
福岡県生まれで、1930年に九州帝国大学・法文学部を卒業し、1939年に博士号(文学)を取得されました。
1941年に旧制佐賀高等学校の教授兼九州帝国大学・法文学部の助教授に就任されています。
1950年に九州大学・文学部の教授となり、1968年の退官まで精力的に活動されています。
九州大学在職中は主に知覚心理学における知覚的恒常性に関する研究を行い、若い研究者を養成するとともに多くの研究論文を発表されています。
退官後は、駒澤大学・文学部の教授となり、現在の駒澤大学および大学院の心理学専攻の基礎を確立されたのが秋重先生です。
秋重先生は座禅(禅)に関心を寄せており、駒澤大学に移ってからは同大学の禅研究所を設立し、禅に関する心理学的研究を行っています。
また、1979年に自ら出家もされています。秋重先生は知覚心理学における知覚的恒常性と座禅の2つの研究領域に共通する概念は「脳の意識野における不変性の原理ではないか?」と述べられています。
ちなみに、駒澤大学は元々、仏教の中の曹洞宗の系列の大学で、仏教学部があり、座禅が授業として実施されていて、学内に大きな座禅堂もあります。また、心理学科では禅心理学という授業が必修で実施されています。
東京生まれで、旧制第一高等学校において、ドイツの心理学者で、科学的心理学の基礎を築いたヴントの影響を強く受けた速水滉先生の教えを受け、東京帝国大学・文学部・心理学科に進学しました。
東京帝国大学では、松本亦太郎先生や桑田芳蔵先生に師事しました。
1927年には、当時新設されたばかりの京城帝国大学に赴任し、速水滉教授の下で研究者としてのキャリアをスタートさせています。
1943年に「比較過程の研究」で東京帝国大学から文学博士号を取得し、この研究は翌年の1944年に同名の書籍として出版されています。
天野先生は実験心理学者でもありましたが、民族心理学の研究を行うなど幅広く研究活動を行っています。
第二次大戦後に、立命館大学教授・大阪大学教授・追手門学院大学学院長・学長などを歴任し、京都府の初代教育長としても知られています。
山口県生まれで、関西学院・神学部を卒業後、東京帝国大学に進学し、1922年に同大学を卒業されています。
東京帝国大学卒業後には、自身の出身校である関西学院に就職し、ハミル館に心理学実験室を設立しました。
その後、コロンビア大学に留学し、帰国後は1934年に心理学科の初代教授となり、1940年には法文学部長、1950年に関西学院長および同理事長、関西心理学会会長などを歴任されました。
1956年に「ウィリアム・ジェームズ心理学の生成とその根本思想」という論文によって文学博士号を取得されています。
ここでいうウィリアム・ジェームズとは、アメリカの哲学者・心理学者で、ハーヴァード大学で医学を修めた後、同大学で生理学・心理学・哲学の教授を務めていた人物です。
いわゆる感情の末梢起源説であるジェームズ – ランゲ説を提唱したのが、このジェームズです。
1931年に東京帝国大学・文学部を卒業後、東京盲学校の教授を務めています。
その後、国立教育研修所の研究員等を経て、1949年に東京大学・助教授、1951~1967年まで同大学の教授を務められました。
1981年には、日本学士院の会員にもなっています。
梅津先生は、当時、教育は不可能として放置されていた先天性盲聾二重障害児に対して、組織的な学習により交信行動を成立させることに成功しています。
また、系統発生的な交信行動の系譜を解明する端緒を開き、生体一般の信号系活動に関する理論を構築し、知覚・記憶・思考などの諸活動を信号系活動の異なる水準のものであると述べました。
この理論を基礎として、障害者と研究者は相互補正的な関係にあるとの立場から、重度障害児や先天盲開眼受術例に関する独創的な実践研究を展開しました。
梅津先生の活躍はまさに科学者-実践者モデルにのっとったものであり、研究によって構築した理論に基づいて、障害者の方々の学習や生活をサポートしたのです。
この記事を執筆・編集したのはこころ検定おもしろコラム編集部
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