コラム

日本の有名な心理学者たち part3

  • コラム
  • 2020/03/12

心理学者やメンタルへルスの専門家には、日本人にも多くの有名な先生方がいらっしゃいます。そんな日本を代表する先生方の一部を御紹介させていただきたいと思います。

 
古賀 行義 先生

古賀先生は熊本市出身で、1920年に東京帝国大学(現在の東京大学)の法科を卒業後、名古屋高商の教授や広島文理科大学、広島大学の教授を務められています。

その後、日本大学や二松学舎大学、城西大学の教授を歴任し、日本心理学会の理事および同会の会長などを務められています。

古賀先生は1921年から1923年に欧米を歴訪し、スピアマンのもとで数理統計学について学んでいます。

スピアマンとは、イギリスの心理学者であり、ヴントの研究室で1904年に学位を受けた後、1906年よりロンドン大学の心理学実験室主任を務め、教授にもなった有名な心理学者です。

スピアマンは現在における数理心理学・心理統計学の基礎となる研究に従事しており、順位相関やスピアマン=ブラウンの公式、知能の二因子説などの確立・普及に貢献しています。

また、知能の二因子説は、その後に因子分析や多次元解析の基礎となっており、まさに現在の心理統計学の基礎を築いたうちの1人であるといえるでしょう。

そんなスピアマンの下でも学んだ古賀先生の専門は多岐にわたり、因子分析の開発・普及にはじまり、社会心理学、産業・組織心理学、教育心理学などの幅広い分野で業績を残されています。


鈴木 治太郎 先生

鈴木先生は現在でも日本で広く使われている鈴木=ビネー式知能検査を開発したことで有名です。

鈴木先生は大阪の天王寺師範学校附属小学校の訓導として当時盛んであった教育測定運動に関心を持ち、1925年以降数回の改訂を経て、1930年にスタンフォード = ビネー検査の日本版の翻案・標準化を成し遂げられました。

鈴木=ビネー式知能検査の発表以来、最も信頼できる知能検査の1つとして多用されており、人間の知能研究に多大な貢献をしています。

現在では、鈴木=ビネー式知能検査は医療保険の対象にもなっています。この功績が高く評価され、鈴木先生は京都大学より文学博士の学位を授与されています。


高木 貞二 先生

高木先生は東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、1919年にコーネル大学に留学し、ティチェナーのもとで指導を受けました。

ティチェナーは、哲学・生理学を学んだ後にヴントに師事し、ヴントの提唱した構成的心理学の概念を簡潔化・厳密化し、感覚・心像・感情の3要素によって人間の意識のメカニズムについて解明を試みました。

高木先生もこのようなヴントからはじまる科学的な心理学の草創期の段階で、海外の最新の知見を学んだのです。

その後、高木先生はゲシュタルト心理学に基づいて鳥の一種であるヤマガラを使った移調反応の実験などを実施しています。

1943年に東京帝国大学・文学部の教授に就任後は、定年まで文学部長や教育学部長、教養学部長等の要職を歴任されています。

また、高木先生は論理実証主義と操作主義を背景にした行動科学の立場から後進の指導に当たり、日本心理学会の会長を含め、1954年から1962年まで科学基礎論学会の会長を務めるなど、戦後日本の心理学の方向性を決定づける大きな影響を及ぼしています。


城戸 幡太郎 先生

城戸先生は愛媛県・松山市生まれで、1916年に東京帝国大学(現在の東京大学)の心理学科・選科を修了した後、1922~1924年の2年間、ドイツのライプチヒ大学に留学されています。

ドイツのライプチヒ大学といえば、ヴントが世界で最初の心理学実験室を設立したことで有名です。

城戸先生も日本の草創期の心理学者の先生方と同様に、当時最新の科学的な心理学を学ぶために留学をしていたわけです。

帰国後、城戸先生は法政大学の教授に就任されています。

また、第二次大戦後は文部省教育研修の所長、北海道大学の教授、北海道学芸大学・学長などを歴任されています。

城戸先生の学問的業績として、表現心理学・日本精神史・教育地理学・心理学問題史など非常に幅広い分野に及んでいます。

1931年から33年にかけては、岩波講座『教育科学』全20巻の編集の中心的な役割を担い、教育科学運動を推進されました。

そして、1957年には日本教育心理学会の会長を務め、同学会で現在も継続されている「城戸奨励賞」の設立のきっかけとなっています。