コラム

少し変わった視点から心理学を考える Part1

  • コラム
  • 2019/03/05

心理学の研究は一風変わった側面から物事を捉え、面白い結論を導き出しているものがあります。
 
心理学に関する研究は、私たち人間の“滑稽さ”や“上手く行かない歯がゆさ”についても、様々な角度から教えてくれます。
  
誰もが「自分はできる」と勘違いしてしまいがち:
  
コーネル大学のデイヴィッド・ダニングとイリノイ大学のジャスティン・クルーガーは「未熟と不注意:過大な自己評価へと導く自分自身の無能力を認めることが、どれだけ困難であるか」というタイトルの研究論文を発表しています。
 
これは、いわゆるダニング=クルーガー効果という心理学における現象に関するものです。
 
この研究では、大学生に「論理学」「文法」「ユーモア」に関するテストを受けさせます。
 
そして、自分がどれくらいテストを答えられたか(能力についての自己評価)についてアンケートを取ります。
 
その結果、多くの大学生は平均よりやや上位くらいの位置に自分はいるだろうと自己診断しました。
 
しかし、そのテストの結果と自己評価の良し悪しは全く一致せず、反比例する(テストがよくできたと考えている人ほど、テストの点数は低い)ということが判明しました。
 
また「論理学」について授業をした後で再テストしたところ、自己評価とテストの成績は比例する様になりました。
 
これは、正確な知識が無い状態では「自分は詳しくない(無知だ)」ということを自覚することすら難しいということです。
 
従って、ある程度の知識がないと「自分は知識がない」ということすら、私たちは自覚することができないというわけです。
 
政治家に対する心理学的評価はどのように行われるのか:
 
ローマ大学のジャン・ヴィットリオ・キャプラーラとクラウディオ・バーバラネリ、スタンフォードヂ大学のフィリップ・ツィンバルドは「政治家の特異的に単純な性格」というタイトルの研究論文を発表しています。
 
これは有権者が政治家を評価する際に、どのような心理的要因を基準にしているのかを調査したものです。
 
その結果「行動的であるか」「正直で信頼できるか」の2つの因子のみで判断していることが判りました。
 
これは、スポーツ選手に対する評価と比べて、非常に単純な因子に基づいて判断をしているということです。
 
国・地域の行政や法律などの重要な決定に関わる人物である政治家に対する評価であるにもかかわらず、非常に単純な評価基準による決定がなされているということは、少し非合理的であるようにも感じられるのではないでしょうか。
  
どれだけ明確で分かり易くても錯覚を起こす:
  
イリノイ大学のダニエル・シモンズとハーバード大学のクリストファー・チャブリスは、人が何かに熱中している際には、例えゴリラの着ぐるみを着た人が通りかかるようなことがあっても、簡単に見逃してしまうという現象を明らかにしました。
 
様々なビデオ映像を流す際に、前もって特定の事実に注意を払う様に実験参加者に指示します。
 
すると、ビデオで実際に流れていた他の事実(例:ゴリラの着ぐるみが通り過ぎる)に対しては、ほとんど何も認識できないということを述べています。
  
溜息に関する研究:
  
ノルウェーのオスロ大学のカール・ハルバー・テイゲンは、人間はなぜ日常生活において溜息をつくのかに関する研究を発表しました。
 
テイゲンによると、人間は溜息を「物事を諦めた」「選択肢がもうない」ということのサインとして使っていると述べています。
 
しかし、他人が溜息をついている場面を見ると「悲しいのかな?」と感じるということを明らかにしました。同じ溜息という行動でも、自分がやるのと他人がやっているのでは、全く異なる意味付けをしているということです。
  
身体の傾きと数字の捉え方の関係:
  
オランダのアニタ・エールラント、ロルフ・ズワーン、トゥーリオ・グァダルーペは「人を左に傾かせるとエッフェル塔が小さく見える」という研究結果を発表しました。
 
これは「メンタルナンバーライン理論」とよばれるもので、人間の心理的に数は小さい方から大きな方へ左から右に順番に並んでいるというふうに認識しているとしています。
 
そのため、姿勢を左右に傾けると、数量の認識に影響が出てしまい、建物の高さなどの予測が正確にできなくなってしまうわけです。